博物館の工事が完了し暫くしてから榎工務店が倒産し光田組の職長として勤務している時
熱海の南明ホテルで型枠工事業者の新年会に参加し花札賭博の参加者として捕まり
川合に一年後に罰金5万円の納付書が郵送されてきた
警視庁本部庁舎改築工事 昭和52年から55年まで当時の国家的大事業に参加出来 我が人生の自慢話のひとつになった 一日の作業員が1500人を超え型枠大工だけでも 下請け会社が戸倉建設・和栗組・城山建設の三社で施工し 型枠大工も多い時には一日300人を超える事も有った 私は和栗組の職長として光田組から職人を連れて 従事し大きな出会い丁場で貴重な経験をした |
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光田組の興亡 警視庁の工事が終わって光田組も大きくなり株式会社組織となりました 当時光田組の番頭だった山本氏が体調を崩し吾輩が事務関係や現場周りを する事となり現場作業をする事無く光田組が消滅するまで約28年間頑張りました 光田組の施工範囲は鴻池組の一次下請けがメインで 大成建設の一次下請け宮本建設・清水建設の一次下請け和栗組の 二次下請けが工事が主で平成8年頃の月間施工金額は2億円を超える月もあった 宮本建設も和栗組も平成14年迄に廃業し光田組も平成13年廃業となった |
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